四季が失われ、二季化する日本になるのでは?――2年~10年後の私的未来予想気候
ここ数年、私たちが感じている日本の季節の移り変わりは、かつてのそれとはまるで違うものになってきていると感ずる。春は、ほとんど顔を見せる間もなく過ぎ去ってしまうかのようだ。桜の花が咲き始めたと思えば、あっという間に気温が上がり、初夏を思わせるような強い日差しが街を照らし出す。秋もまた同様で、紅葉を楽しむにはあまりにも短い猶予しか残されていない。気づけば夏の暑さが長引き、ようやく涼しくなったかと思えば、今度は急激な冷え込みが訪れ、冬の到来を告げる。かつて私たちが親しんできた、あのゆるやかで情緒ある四季の変化が、いまや急速に失われつつあるのではないかという予感が、日々の暮らしの中でひしひしと広がっている感がするのは私だけではないと思う。
この変化は単なる感覚の問題ではない。気象庁の観測データが示すように、日本の平均気温は過去100年でおよそ1.3℃上昇したとされている。たった1℃余りの上昇が何を意味するのかと問われれば、それは単なる数値の変化ではなく、私たちの暮らしのリズムそのものを大きく変えてしまうものである。東京では真夏日(30℃以上の日)の数が過去30年でおよそ1か月近く増加し、一方で春や秋のような過ごしやすい気温の期間は目に見えて短縮されている。4月でさえ30℃を超える日が現れ、9月から10月にかけても夏日が続くことが珍しくなくなった。もはや日本の気候は「夏が長く、冬が短くてもなお寒い」、いわば二極化した二季の様相を呈しているといっても過言ではないだろうと私は予感している。
なぜこのような変化が起きているのか。その根底にあるのは、地球温暖化という大きな流れだと思っている。産業革命以降、人類が排出してきた二酸化炭素などの温室効果ガスが、大気中に熱をため込み、地球全体の平均気温を押し上げてきた。その影響は海にも及び、海水温の上昇によって蒸発量が増え、湿気が日本列島を覆うようになっている。結果として、夏はただ暑いだけでなく、湿度を伴った息苦しい酷暑となり、体感的にはかつて以上に過酷なものとなった。また、都市部ではアスファルトやコンクリートが熱を蓄えることで夜間も気温が下がりにくくなる、いわゆるヒートアイランド現象が加わり、熱帯夜が常態化しつつある。気象学的な要因に加え、私たちの生活環境自体が暑さを増幅する装置のような役割を果たしているのだ。
今後、地球温暖化がさらに進行すれば、2100年までに平均気温がさらに0.5℃上昇するという予測もある。わずか0.5℃と聞くと小さな変化に思えるかもしれないが、これによって猛暑や酷暑に見舞われる陸地の面積は約3倍に拡大するとされている。その規模は、なんとアメリカ合衆国の国土とほぼ同じ面積に相当する。この予測が示すのは、未来の地球では「極端な暑さ」が一部の地域だけでなく、世界的に広がる“新たな常態”になりかねないという警告でもある。
こうした変化の兆しは、自然のサイクルにも表れている。東京の桜の開花は30年前に比べて平均で1週間以上早まっており、かつて入学式に満開だった桜が、いまや3月中に散ってしまうことも珍しくない。紅葉の見頃は年々遅れ、色づきも鮮やかさを欠く年が増えた。農作物の世界でも異変は顕著である。稲の収穫期は前倒しされ、ブドウやリンゴといった果実は高温障害によって品質低下が問題視されている。また、酷暑によりダムの水が渇水状態になり水稲の生育が危ぶまれることにもなりかねない。こうした現象は偶発的な異常気象ではなく、気候そのものが恒常的に変わりつつあることを物語っていると思っている。
私たちが暮らす日本は、亜熱帯から温帯、亜寒帯にまたがる複雑な気候帯を有するが、その境界線が少しずつ北上している。沖縄や九州南部で見られる亜熱帯植物が、本州中部でも育つようになってきたという報告は象徴的だ。さらに、中国や東南アジア方面に分布していた外来種「サシガメ」が東北地方の仙台市で発見されたとの情報も流れている。もちろん、2年後に日本全体が完全な亜熱帯気候になるわけではない。だが、長い目で見れば、日本は今後数十年のうちに「四季の国」から「夏と冬の国」へと変貌を遂げるかもしれない。この変化は緩やかでありながら、確実に進行しているのではないかと見受けられる。

画像出典:ウィキペディアより
※サシガメ:サシガメはカメムシの一種で中国や東南アジア諸国等に分布している外来種ですが近年温暖化の影響を受けて宮城県仙台市太白区で発見されたとの報道がありました。サシガメ=ヨコヅナサシガメと言う種類で、肉食性で昆虫を捕食しますが、人にも危害を加えることもあり、刺されると痛みを感じます。アレルギー疾患の方は特に注意が必要。
このような未来を思うとき、私たちは単なる郷愁だけでなく、現実的な課題にも直面していることを自覚しなければならない。酷暑はすでに健康被害をもたらし、高齢者を中心に熱中症による死亡者数は年々増加している。農業や漁業は収穫や漁期の調整を迫られ、観光業も桜や紅葉の名所のピークがずれることで影響を受けている。生活の隅々にまで及ぶ気候変化の影響は、もはや見過ごすことのできない現実だ。猛暑、酷暑で使用されるエアコンも、外気温43℃までがJIS企画で定められているそうだが外気温が年々高くなるとエアコンの能力が低下するとの事。現に8月5日の14時30分に群馬県伊勢崎市で最高気温41.8℃と言う途轍もない高温が観測された。しかるに将来、「エアコンの効かない世界」が到来する日が間近に迫りつつあるみたいだ。
それでも私たちは、ただ受け身でこの変化を受け入れるしかないのだろうか。そうではないはずだ。人類史上今までも難解な問題を確実に解決してきた人知をもってすれば、可能だと思う。それがなかったら人類は衰退したと仮定する。気候変動は人類の営みによって加速されてきた以上、私たちの選択によってその進行を抑制することも可能だ。再生可能エネルギーの利用拡大、省エネの徹底、都市の緑化や建物の断熱性向上といった具体的な取り組みは、将来の気候の行方を少しでも良い方向へ導くための道である。個人レベルでも、冷房の効率的な利用や遮熱対策、暑さに備えた健康管理は、もはや必須の生活術といえるものではないかと思う。
四季が二季へと移り変わるという私の予感は、決して大げさな未来予想図ではないのではないか。すでに私たちの足元で進行している変化を直視し、それを言葉にすることで、私たちは自分たちがどの時代を生きているのかを理解することができる。失われつつある春と秋を惜しむだけでなく、これからの暮らしをどう築いていくのか――その問いに向き合うことこそが、いま私たちに求められているのではないかと私は思っている。果たして、自分は後何年生きられるかわからないが、後をしょって立つこれからの未来への子供達により良い生活環境を残せる事を期待したいと思う。
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